気ままにトーク

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2008年02月13日

潮待ちの港

昨年の11月、広島県は福山市沼隈半島の先端にある港町、鞆の浦で、ホテル鴎風亭主催の吟行会を行いました。
瀬戸内海は満潮になると、豊後水道や紀伊水道から流れ込んだ海流がちょうど鞆の浦の辺りでぶつかり、また干潮時には、鞆の浦を境にして潮が分かれていくことから、古来「潮待ちの港」として栄えてきました。

吾妹子が見し鞆の浦の天来番樹(むろのき)は常世に有れど見し人ぞなき

大伴旅人は727年に長官として太宰府に西下する折、鞆の浦で長寿の木といわれる天木番樹を妻と共に仰ぎました。しかし、旅人は太宰府赴任中に妻を亡くします。三年後の730年、一人帰途に着いた旅人は、天木番樹を見上げ、上の一首を詠みました。旅人のみならず、どれほど多くのいにしえ人がこの港に潮を待ち、様々な思いで天木番樹を見上げたことでしょう。
室町時代には、織田信長に京を追われた15代将軍足利義昭が鞆の浦に逃れ、幕府再興をはかりました。ゆえに「鞆幕府」とも呼ばれます。
また、江戸時代に朝鮮通信使の寄港地であった鞆の浦は、瀬戸内の弁天島・仙酔島などが一望できる福禅寺の対潮楼で、度々通信使を厚くもてなしました。第8回の通信使であった李邦彦は鞆の浦を「日東第一形勝」(朝鮮から東で最も風光明媚な地)と称えました。

さて、吟行会は、旅人が詠んだ天木番樹(当時のものではありません)から始まりました。旅人に、万葉の時代に思いを馳せ、長寿を祈った後は、福禅寺の対潮楼で和尚の名調子の説明を聞き、朝鮮通信使が滞在した江戸時代に思いを馳せました。瀬戸内海に浮かぶ島々は紅葉を湛え、海の青、空の青をいっそう引き立たせています。さすがに通信使をうならせた名勝‥何時間も佇んでいたいような場所でした。

造り酒屋や潮待ち茶屋などが残る古い町並みをしばらく散策し、港に着いた頃には、昔ながらの常夜灯に冬夕焼が灯っていました。この港は室町時代の面影を残しています。雁木に腰を下ろし、この港で潮待ちをした人々を偲びながら、行く秋を惜しみました。
さて、このように古代からの歴史が重層的に積み重なった鞆の浦の港に、埋め立て・架橋工事の計画が持ち上がっており、一部の市民やNPO団体、また在日外国人から建設反対の声が上がっています。有事に備えてバイパスが必要であることは解りますが、他に方法はないのでしょうか?

「日東第一形勝」と称えられ、世界に誇れる歴史的な町が、再開発の波に飲まれようとしていることに、日本人として複雑な思いを抱えて帰りました。
 
風待ちのもみづる島に囲まれて まどか
 
 
 
 
写真:(上左)名物和尚のお話を聞く。福禅寺・対潮楼にて (上右)「日東第一形勝」と称えられた景色。対潮楼より (中左)古い町並み (中右)常夜灯の残る港にて。吟行会参加者の皆さんと (下)ホテル鴎風亭でのトークショー


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